南インドの芸能を探求する『アビナヤラボ』のムドラちゃんが、インドの芸能や文化、手印=ムドラについて語り、『アビナヤラボ』の最新情報に迫ります
岡田正子氏によるベラ・レーヌの演技レッスン
以前から気になっていたが、5月に両国のギャラリーXで行われた三日間のワークショップの初日だけに参加させていただいた

クーリヤッタムの演技と通じるものを感じたので、少し考えをまとめてみようと思う

この日の課目は
1.心の中のセリフ
2.レセプシオン
3.二義的動作

「心の中のセリフ」というのは、台本からセリフを取ってしまってもお芝居が成立するように、心の中を充実させること

「セリフがなくても充分その場の状況が演じられるようになった時、はじめてチェーホフの宝石のようなセリフが全部生きてくる。」とベラ・レーヌさんはよく仰っていたそうだ

クーリヤッタムでは、台本の言葉を一語一語ムドラを使って表していく
例えば、「蓮の花を見た」という文を表す場合は「蓮の花」と「見る」というムドラを順々に表わす
「蓮の花」のムドラは
胸の前で両手を合わせてつぼみの形を作り、少しずつ指を開いて花の形を作る
その時、手で作った花の辺りに蓮の花をイメージし、花びらを一枚一枚目で追うようにする
そして、心の中にその蓮の花のイメージを確立させて正面を見る
蓮の花のムドラ
次に「見る」
両手を軽く握って、左右の目の横にもっていき、人差し指と中指を伸ばしてチョキの形にする、と同時に目を見開き、蓮の花を見る
この時、どこに、どんな蓮の花が咲いているかがはっきりしていないと、漠然とした目線になってしまう

言葉をムドラで表すためには、言葉が表している情景などを具体的に思い描くことがとても大事だ

これは「心の中のセリフ」でやっていることと近いように感じた


クーリヤッタムには基となる戯曲があって、それとは別に上演のための台本がある
戯曲はサンスクリット語で書かれた古い文学作品だが、クーリヤッタムではその戯曲に書かれているセリフをそのまま舞台化するということをしない
背景や行間を考え、具体化して組み立てることで上演用台本を作り、その台本に則って上演する
この上演用台本は「心の中のセリフ」を構成したもの、と言えるかもしれない

フランス演劇と南インド古典劇、意外な共通点がある

ムドラは手の形で言葉を表す方法だけれども、声に出す言葉だけでなく、心の中の言葉を表していく方法でもある
セリフではない部分を極端に深読みして表現しようとする指向性が、ムドラによる表現を発達させたのかもしれない
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【2016/06/01 13:05】 | ムドラいろいろ
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