南インドの芸能を探求する『アビナヤラボ』のムドラちゃんが、インドの芸能や文化、手印=ムドラについて語り、『アビナヤラボ』の最新情報に迫ります
2015年もいよいよ本日が最後の日
毎年、年末は必要以上に慌しい気分に侵されてしまいます。今年はお教室の上り口を少し片づけて、きれいにしました。他の部分には目を瞑ることにします。
来年は2月に、JMLインド古典劇クラスの発表会を予定しています。それを一つのきっかけとして、それぞれの充実した日々を送ることができますように。
loka samastha sukhino bhavanthu

【2015/12/31 14:53】 | 未分類
|
先日の東京楽竹団のコンサートで
新作の中で、初めてムドラを使った
ちょっとだけ

ムドラと言っても、言葉を表すというよりは、クジャクの羽根の動きを象徴的に使った

鳥をイメージした曲だったので、尾羽を開いて散歩する奇妙な鳥のシーンでこのムドラを使ってみた

どんな風に見えたのだろう?

【2013/07/29 22:09】 | 未分類
トラックバック(0) |
昨日のコンサートで演奏した「たけづつだけ」の中に出てくる歌の詞について考察してみたい

インドの音楽では、リズミックシラブルを声に出して、太鼓のフレーズなどを表す手法がよく使われる
この手法は日本にもあるし、いろいろな人たちが使っていると思うが、インドではとても一般的で、古典音楽でもそれを基本にした歌詞の歌が作られている

そういうものに親しんできたせいか、私-irinoは最近、楽竹団の中で「たけ」というシラブルを使うことが増えてきた
楽竹団は竹楽器を作って演奏する、竹づくしなのだから、音としての「たけ」も使ってみたら、という単純な発想だ

た行と、か行という組み合わせは、「タカ」や「テケ」など、歯切れのいいクリアな音を口で言うときによく選ばれる音で、「タケ」はまさしくそういう音だ。

加えて、竹の音色と人間の声との相性がいいということを、ボートシアターにいた頃から感じていて、つい声を使いたくなってしまう

そんなわけで、「たけづつだけ」の中に出てくる歌は、竹筒をトントン鳴らしながら、ふと、「たけ~」と口ずさんでしまう、そんな曲


ところで、「タケ」という音は竹という実体と関係がないだろうか?
どこか見えないレベルで繋がっているのではないだろうか?
だから、「たけ」という音を口ずさむことも、竹という素材で作った楽器を演奏することも、何かつながりがあるに違いない、そんな風にも思う


合いの手にいれた「バンブー」という詞も、つい口ずさんでしまったもので、竹の英訳「bamboo」だ

音としての「バンブー」はバ行が特徴的
唇を合わせて破裂するところから生まれる音で、赤ちゃんが最初に口にする音のこともある
エネルギーが破裂するような音に、濁音のちょっと低音の響きが入る感じが心地よい

言葉の意味についてだが、学術的には、バンブーは熱帯性で株立ちのタケ類を指し、狭義のタケは地下茎で増える温帯性タケ類を指すそうだ

熱帯と温帯のせめぎ合い、そんな構図も見え隠れする?

ちなみに、楽竹団は日本のタケの楽器がほとんどだが、インドネシアやフィリピンのバンブーの楽器も使っている

長々と分析してみたものの、単純に「タケ」と「バンブー」の音の組み合わせを楽しんでいる歌であることは確かだ

【2013/07/29 21:18】 | 未分類
トラックバック(0) |
インド古典劇のクラスでは、
ナンギャールクートゥの「プラッパードゥ」
という演目を練習しています。

この演目は
連続してナンギャールクートゥを上演する場合に初日に上演されるものです。
物語の導入とともに、
いくつかの純粋に舞踊的な部分や、
神々への賛美などで構成されています。

その中に
八つの方位の神、それぞれに
花を捧げ、
舞踊を舞って、
祈りを捧げる

という部分があります。

この八方位の神々はヒンドゥーの思想に基づいていますが、日本でも十二天として方位の守護神とされています。

インドラ = 帝釈天
東南 アグニ = 火天
ヤマ= 閻魔天
南西 二リルティ= 羅刹天
西 ワルナ= 水天
北西 ワーユ = 風天
クベーラ= 毘沙門天
北東 パラメーシュワラ = 伊舎那天

インドからそのままの形で伝わって来ているんだな、と思うと何とも感慨深いものです。

インドラは神々の長
アグニは日本名の如く火の神
ヤマは鉄の杵を持った死の神
二リルティは羅刹神
ワルナは海の神
ワーユは風の神
クベーラは富の神
パラメーシュワラはシヴァ神の別称
です。

【2013/02/24 16:42】 | 未分類
トラックバック(0) |
初夏に行われたプラバートのWSのヨーガで、だいぶリフレッシュして、心と肉体の繋がりの大事なことを再認識
8月にラフール・アーチャリヤのヨーガWSをちょっと体験したときには、改めて自分の身体の声を聞く方法を気づかせてもらった
接骨院の先生には、ガチガチの体をほぐしてもらって、筋肉の細やかさを教えてもらっている

今になって、
ここは力を入れて当然と思ってたものが、いらないリキミだったと気づく
演奏も、演技も、そんなことの連続だ

自分でヨーガをやる時、つい欲をかいて、身体に負担をかけすぎてしまう
そうやって鈍感になってしまったのかもしれない
目の前の欲を諦めることで、可能性が無限に拡がるんだったら、諦めたほうがいいに決まっている

自分の体に優しく
表面的な知識や理屈に縛られず、丁寧に自分とつきあってみる
そうすると、体もどんどん変化する
人間ってすごい

何といっても、関節が無理せず動いて、痛くないっていいな

【2012/11/17 22:12】 | 未分類
トラックバック(0) |